雨にも負けず --宮澤賢治
雨にも負けず
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
(原文)
「雨ニモマケズ」
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
【宮沢賢治】
宮沢賢治 [1896-1933] |
作家。農業技術指導、レコードコンサートの開催などの活動をし、農民の生活向上を目指す。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」などの著書がある。 |
出典 参考文献 |
教科書でおぼえた名詩 |
<中文>
不輸給雨
不輸給風
無畏大雪 不怕炎夏
有強健的身子
無慾
不嗔
臉上永遠有恬靜的笑
粗茶淡飯足矣
遇事不動情
凡事靜觀銘記
在野地森林深處
有我棲身的小茅屋
東邊若有病兒
我去探望他分憂
西邊若有累壞的母親
我幫她背稻解勞
南邊若有將死之人
去告訴他不必害怕
北邊若有人爭吵興訟
勸他們別這麼無聊
大旱時節 我為世人流淚
冷夏之際 我不安地踱步
大家說我是傻瓜
但我不需要別人的讚揚
不在乎世人眼光
我正是想當這樣的人 <不輸給風雨> 村東若有病痛的小兒 讓我細心去照顧 我 正是想當這種人
不怕雨 不怕風
不怕大雪不怕夏日
身子結實骨子硬
沒啥慾望 絕不生氣 臉上總是恬靜地笑著
一天四合糙米淡飯 幾匙豆醬少許粗菜
事事不動心不動容 事事要耳聞要目睹
然後刻印在我心中
在那原野地松林深處 蓋棟我棲身的小茅屋
村西若有疲累的大媽 我去幫她背稻穀
村南若有臨終的老輩 趕去叫他不要怕
村北若有爭執或口角 我去勸說無聊啊
大旱時節我淚眼汪汪 冷夏之季我焦慮不安
大家罵我是個大傻瓜
雖然沒人會誇獎贊揚
但也沒人會傷腦筋
我覺得這首詩可以給日本人很大很大的力量
他們一直以來就是這樣的民族
牽絆著;這個災害 是把大家的心更聯繫在一起
好喜歡這幾句
東邊若有病兒
我去探望他分憂
西邊若有累壞的母親
我幫她背稻解勞
南邊若有將死之人
去告訴他不必害怕
北邊若有人爭吵興訟
勸他們別這麼無聊
大旱時節 我為世人流淚
冷夏之際 我不安地踱步
大家說我是傻瓜
但我不需要別人的讚揚
不在乎世人眼光
我正是想當這樣的人
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